諦めたくない

文才能力がないため支離滅裂すると思いますが、よろしくお願いします

生きていないけど消えてもない

このタイトルの言葉そのものが


亡き母が私に最期の言葉。


わたしの母は、癌でこの世を去った。


わたしの住む街から片道2時間の


距離に母が住んでいた。


母は、看護師だった。


それなのに、自分の病気を無視して


この世を去ったにしか思えない。


母は、そ−ちゃんの誕生日に入院し


その後2週間ちょっとしてから


癌摘出術をした。


そ−ちゃんが小さいから病院には


連れて行く事が出来なかった。


それが、病院の決まりだったから。


あ−ちゃんの職場は土日祝日が


休みだから、休みを利用して2人で


行くこともあった。


クリスマスに手紙と手作りの小さな


ツリーとリースを持って病院に行った


母の担当医に呼ばれた日に


カンファレンスが行なわれた。


それまでの母は病状と術後の経過を


慣れた口調で語られた。


入院したその日と術後の経過と


何度聞いても進行がん…。


治るんだ、また元気な顔が見れる。


そう思って担当医に、母は夏まで


頑張れますか?って聞くと…


深いため息をし肩を低くして


お母さんの体力次第では…


お母さんが頑張ってくれるなら…


全てが続く会話にはならい。


わたしにも旦那にも察知した。


わたしが、ですよね…母今まで


頑張って来たんだから夏までの


体力あるわけないですよね…って


そう言うと、娘さんのゆうさんは


何が望んでいますか?と聞かれた。


わたしは、母を連れて帰りたい。


わたしの娘が勤務する病院にも


緩和ケアあるのでそちらに…


それが不可能なら在宅で緩和ケアを


そう伝えました。


母が退職する3月末日。


退職まで2カ月半を残して去った。


その時、担当医は私たちと不意に


視線を変えて何粒も何粒も涙を


眼尻から擦り落とし涙を拭くもせず


鼻をすすりながら医者らしくない


態度を見せたきた。


在宅で緩和ケアをするのは思いつきで


言ったんでしょうか?と聞かれ


いえ、退職したら一緒に暮らそうと


以前から話しをしていて母の部屋を


用意もしてるんです。


そうですか…どちらも不可能です。


臓器の一部摘出し他体内から出てくる


汚れた血液をだすカテーテルも


ある上に術後の体力もないので


転院に移送は無理です。


進行がん以上の病気が母を苦しませ…