諦めたくない

文才能力がないため支離滅裂すると思いますが、よろしくお願いします

覚悟…

そう、進行がんって言っている


わりには衰弱して見えていた。


次第に、白眼から顔から全て


黄色に染まった母。


目をつぶって横になっている母


そして数分後ぱちっと目を開けて


寝て起きたらスッキリだよ。


外はどのくらい雪あるの?って。


暗くなる前に帰らないとだめよ!


そ−ちゃんが待ってるんだからね。


そう話して、また入眠する。


また数分後に起きて、ゆうちゃん…


わたし背中痛いから摩ってくれる?


わたしから見ると母は母。


母から見た私はわかるのかな?


母は、術後に胆嚢炎と誤嚥性肺炎に


なり4人部屋から個室へ移った。


毎日、片道2時間の距離を通った。


母は、わたしに言った…


ゆうちゃんクリスマス一緒に


出来なかったね…ごめんね。


って、わたしは涙目になって


大丈夫!お母さん、私を生んでくれて


育ててくれてありがとう。


わたし、お母さんの子供で寂しい


思いした事あるけどお母さんは


いつも笑ってるお母さんが


大好き!元気になったら、一緒に


ちらし寿司を作ろうね。と伝えると


目をつぶって涙を流していた。


母は、その日の夕方からリハビリを


したい話をしました。


担当医は、お母さんが今一番やりたい


と思うことをさせましょう。


その言葉をもとに母はリハビリをし


日に日に会話より先に動いていた。


病院が、お正月休みになっていても


リハビリの先生が来てくれて


母の会話もリハビリも休む事もなく


続いていた。夏まで…いや。


この先ずっと母と一緒に過ごしたい


そう思ってるうちに、時計の針が


5時…。そ−ちゃんのお迎え。


また明日来るね!そう言って


個室を背後にして帰宅方向へと


わたしは、進んだ。


その後も毎日のように病院へ行った。


ある日、朝から母は苦しそうに


していた日があった。


どんなに私が話しても全然いつもと


違う母の姿だった。リハビリの先生も


ちこさん痛いですか?苦しいですか?


大丈夫ですか?母は、頷くこともなく


目をつぶって食いしばってた。


その日の夕方に担当医に呼ばれて


ナースステーションへ行くと


手術した時にした病理検査の結果が


出揃ったのでよろしくお願いします


そう言われて、懸命にリハビリを


頑張っていた母。今日は、雪も一気に


積もるだけ降ったからたまたま調子


悪いことを脳裏によぎらせて担当医と


の約束の時間を待った。


個室を狭くした部屋を案内されて


わたし1人が入室した。


担当医には毎回と顔を合わすが


いつもありがとうございます…


病理検査の結果は、どんな感じです?


そう言うと担当医から言われたのは


最初に、進行がんって言っていたの


覚えていますか?僕も検査技師も


画像見て判断した結果として


進行がんと伝えてましたが、お母さん


未分化癌でしたね。咄嗟にわたしが


え?もっとひどい癌の意味ですか?


そう言うと、はい。末期癌です…


それに付け加えるとステージも


マックス越えてます。


お母さんがいま生きているのは


お母さんの生命力だからです。


従来の癌患者から行くと既に


存在はしていません。各臓器に


骨に脂肪に皮膚にいくつもの箇所に


遠隔された場所にまでも癌は浸潤し


ているのが病理検査でわかりました。


お母さんが食べたいと思うもの


お母さんが飲みたいと思うもの


口にしてあげてください。


そう言われ私は1人バンジージャンプ


して失敗して巨大な岩に頭を


打った気分でした。


言葉も出ず、ただ涙ばかりです。


それでも担当医の言葉は止まらず


話続けていた。


母のこと少しづつ理解していくと


担当医からは、お母さんの延命治療は


断られた。いざという時に


心臓マッサージをして癌で脆くなった


胸を押して圧迫骨折をさせて


お母さんをこれ以上苦しませたくない


というのが担当医の思いだった。


癌から来る痛みは、想像を絶する


痛みその部分の痛みは輸液に混ぜ


痛みを散らしてあげたいとのこと。


モルヒネ系の薬のことだった。


亡き父が、そちらの薬を使い


意識衰弱に意識低下して、この世を


去ったのです。


母の病室へ戻ると母はスヤスヤと


眠っていました。それでも5時までは


と思って母の病室にいました。